寺山修司生誕日イベント 「第一回 新世界不完全死体寺山修司総会」 開催!
故寺山修司の生誕日である十二月十日に、「第一回 新世界不完全死体寺山修司総会」(※三上寛氏命名)を開催いたします。
世界一不道徳な聖夜(クリスマスイヴ)をあなたに
十二月十日は寺山修司生誕日です。
新世界はこの日が「我々のクリスマスイヴ」と勝手に認定しました。
ケーキなどいりませぬ、
ココロに毒薬(ポイズン)と幻想(マボロシ)を。
否定形で語るのも
きみに敬意を払うひとつの方法
きみは子供を残さなかった
家を残さなかった
土地を残さなかった
勲章を残さなかった
残さぬことできみが残した
目に見えぬもの
谷川俊太郎「寺山修司への七〇行」より
詩人、歌人、俳人、劇作家、演出家、映画監督、脚本家、作詞家、脚本家、小説家、随筆家 、スポーツ批評、競馬評論家等、多方面に活躍し、膨大な量と、高い質を伴なった芸術・文芸作品を発表した“言葉の錬金術師”寺山修司。
自身の創作に止まらず、幅広い分野に個性・才能を有した人材を数多く輩出した、卓越した審美眼の持ち主であった事も忘れてはならない。
「百年たてば その意味わかる 百年たったら 帰っておいで」(寺山修司)
主生誕の夜、待ちきれない我々は百年を待たずして門外不出の錬金術の奥義を知る為、遂にその扉を開ける。
出演は、寺山映画の名作『田園に死す』、天井桟敷の代表作『邪宗門』にも出演していた、寺山修司と縁の深いシンガー、三上寛。
自らの著書『寺山修司さんの宿題』で「十代の時、寺山修司と直接出会い、その文才を見出された」と記す小説家の田口ランディ。
そして、寺山修司と同郷のヴォーカリスト、山崎ゆかり(空気公団)も、寺山修司をリアルタイムで知らない世代の代表として、氏に惹かれるその謎を解き明かすべく駆けつける。
寺山修司つながりの、この磁力でしか、ありえない希有な顔触れが勢揃いし、トークセッションを中心にリーディングやライブも行う。この3人が寺山ワールドに結集する事によって、果たしてどんなスパークが起こるのか?お楽しみに!!
田口ランディ
作家 1959年東京生まれ。
2000年6月、幻冬舎より長編小説「コンセント」を出版し小説家としてデビュー。その後「アンテナ」「モザイク」を発表。初期の長編は三部作と呼ばれ、海外でも高い評価を得ており「コンセント」は英語、イタリア語、中国語、インドネシア語、ルーマニア語など多くの言語で翻訳されている。
「コンセント」(中原俊監督)「アンテナ」(熊切和嘉監督)は映画化され、「アンテナ」は第60回ベネチア国際映画祭、第28回トロント国際映画祭正式招待作品となった。
その後、日本の象徴としての富士山をモチーフにした短編集「富士山」、現代人の視点から原爆を捉えた短編集「被曝のマリア」など、社会的なテーマに挑んでいる。
作品には寓話的なものも多く「転生」「木霊」など、輪廻転生を扱った作品も多い。また短編集「オカルト」や「ドリームタイム」「オクターブ」では夢と現実のあわいのような幻想的な作品を描いている。短編集「蝿男では、生きがたさを抱えながら、なんとか社会に適応しようと苦しむ人々を、時に冷徹に、時に温かな視点で寓話的に描いている。
三部作以降初の長編小説となった「キュア」は「人間にとってガンとは何か?」という極めて難しいテーマで作品を執筆。同時期に自身の父親が肺ガンで他界し、現実と非現実が重なったような作品となる。キュアでは医療者にとって治療とは何か?という問いが繰り返し現われる。ラストシーンは放射能汚染された近未来の様子が描写され、ここでも現実と非現実とは奇妙な共鳴をしている。
最新長編小説「マアジナル」では、UFOというオカルト的な話題から、人間の認識論へと踏み込んでいる。「私が見ているものは私にとってだけの現実なのか?」という問いは、中世から表現者が繰り返してきた永遠の問いでもある。その問いに近代の哲学や、最先端の量子理論を動員してアプローチした「思想実験小説」であると同時に、スリリングなストーリー展開をもつエンタテイメント作品でもある。デビュー当時から繰り返し描いてきた「家族」や「血」の問題から脱却した、著者の新境地とも言える作品。
http://www.randy.jp/
山崎ゆかり(空気公団)
音楽グループ「空気公団」所属。青森県出身。
1997年「空気公団」結成。メンバー交代を経て、現在は山崎・窪田・戸川の3人で活動中。
あの山下達郎に「どの曲も素晴らしい」と言わしめたほどの洗練されたサウンド。ささやかな日常語、アレンジを細やかにおりこんだ演奏、それらを重ねあわせた音源製作を中心に据えながらも、映像を大胆に取り入れたライヴや、様々な芸術家とのコラボレーションを軸にした展覧会等、枠にとらわれないアート志向の活動を独自の方法論で続けている。
2012年1月には、2011年2月〜6月に開催した7会場でのライブ映像をまとめたライブDVDが発売となる。
http://www.kukikodan.com
三上寛
1950(昭和25)年青森県小泊村(現中泊町)出身。警察学校中退後、上京し、音楽活動を始める。71年、(21歳の時)レコードデビュー、アルバム『三上寛の世界』をリリース。同年の中津川フォーク・ジャンボリーで伝説的なライヴ・パフォーマンスを行い一躍脚光を浴びる。翌年、藤圭子のヒット曲『夢は夜ひらく』を三上寛流の演歌=怨歌にに昇華。74年、山下洋輔トリオのメンバーやカットアップの手法なども取り入れた『BANG!』をリリース、78年には、“70’S三上寛スタイル”の完成をみた『負ける時もあるだろう』をリリース。それまでの活動に対して、本人は「これまでにオレの作詞
方法は、現代詩から学んだ技術の延長上にあった。そこで言葉はデザイン化され、オレの『声質』がそれを細かく選択していく、とういう風に作られていったように思う。」と著書で語っている。
79年には、処女詩集『お父さんが見た海』を発表。又、俳優としても活躍。寺山修司監督の『田園に死す』(1974年) を皮切りに、『新仁義なき戦い 組長の首 』(1975年/監督:深作欣二)、『戦場のメリークリスマス』(1983年/監督:大島渚)、『トパーズ』(1992年/監督:村上龍)、日活ロマンポルノ作品など20本近い映画やTVドラマに出演、映画音楽も手懸ける。ちなみに映画出演で親交を深めたピラニア軍団のアルバムもプロデュースしている。
80年代は、2枚のアルバムをリリースするが、新曲のリリースは無く、82年を最後に8年もの間、レコーディング活動から遠ざかる事になる。この時期は、TVのレポーター、司会、コメンティーターとして繁栄に出演、役者として活動、エッセイの連載などで、新たなる才能が知れ渡るようになる。
そして、90年代に入り[PSF Records]から怒濤のリリース・ラッシュが開始される。自己のアルバムを毎年1枚ずつのペースでリリース。吉沢元治/灰野敬とのコラボレーション、石塚俊明/灰野敬二とのバンド「バサラ」でのリリースなど、80年代から一転して90年代は歌手・三上寛の改たな幕開けとなった。これまでの演奏、曲作り、歌い方とは違うスタイル〜演奏はエレキ・ギターとなり、歌はエモーション溢れる寛流ブルーズに。詩はモノリスのような言葉が立ちはだかった。2000年には、音楽活動30周年記念の13枚組『三上寛ボックス』を発表、自伝の書籍『三上寛怨歌に生きる』も刊行する。
2000年代も、その活動ペースは更なる加速が加わる。自己のアルバムの定期的なリリース。古沢良治郎/明田川之/林栄一/國中勝男/小山彰太/ JOJO広重/山本精一/辛恵英/佐藤通弘/沢田としき、とのコラボレーション。浦邊雅祥/石塚俊明とのバンド「三社」、そして「バサラ」のリリース。又2004年にはフランスのレーベルからもアルバムがリリースされ、海外でのライブ活動も繁栄化して行く〜〇2004年/フランスツアー【パリ、ブレスト、ナント、リヨン、ジュネーブ、マルセイユ、メッツ】、〇2005年/イギリス【グラスゴー】、〇2006年/イギリス【ニューキャッスル】、〇2007年/ヨーロッパツアー【ブルックセル、リヨン、ジュネーブ、メッツ、ブレスト、パリ、マルセイユ】、〇2008年/ベルリン/ポーランド、/イギリス【ロンドン】、/ヨーロッパツアー【パリ、リール、ナント、リヨン、ジュネーブ、オランダ、ベルギー、イギリス】、〇2009年/フランス【ニーム】、/イギリス【ロンドン】、〇2010年/キム・ドウス招聘〜韓国【ソウル、テグ】、〇2011年/メキシコ、等。昨年、還暦を迎えるも、その音楽は止まる事を知らず、近年は寛流の浄瑠璃[語りもの音楽]といった方が判りやすい唯一無比なスタイルへと辿り着ている。別格な、声、言葉、ギターを三位一体に、前人未踏の荒野に足を踏み込んでいる、今の三上寛のブッ飛び方、半端ないっス!!
出演/
三上寛:トーク&ライブ
田口ランディ:トーク&リーディング
山崎ゆかり(空気公団):トーク
オープン/18:30
ライブ/19:30〜
料金/予約:¥2800(ドリンク別)
※学割:¥2000(ドリンク別)
●当日券情報
18:30より「新世界」店頭にて発売いたします。
¥2800(ドリンク別)※学割:¥2000(ドリンク別)