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5月
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まず六年半「音楽実験室 新世界」を支えてくれた出演者、及び関係者、スタッフ、オーディエンスの皆さん本当にありがとう。
特にファイナル月、三月に最高の感動をギフトしてくれた出演者の方々、ただ感謝、感謝です。

 「新世界」を辞めると決意したほぼ半年前から「新世界」という場所を引き継ぎたい、そんな話を色々いただいていたのですが、どれも「新世界」がやってきた音楽や演劇の実験的な場として引継いでくれる話ではなく、他者へ委ねる決意がつかぬまま気がついたらこの三月のファイナル月間に入ろうとしていました。
 ここからは極私的な話になりますが、そんな矢先の二月二十九日に、「新世界」最後の二日間に出演してくださるエスケン氏、こだま和文氏、ブッキングディレクターのエンドウソウメイ氏と白金の「クーリーズ・クリーク」で食事会をしました。エスケン氏、こだま氏からも温かい励ましを頂き、これで三月の「新世界」を大いに楽しみ、やり残したことはないと思っていました。ほろ酔いで散会したその日の深夜、自分は転倒し足首を骨折しそのまま三月中入院していました。おかげであれだけ楽しみにしていたファイナル月間「新世界」に顔を出すこともできず、右足を固定され病院のベッドで転がっていました。笑えないけど笑っちゃいます。
 
 まァ、ともかく病院のベッドに転がるしかなかった三月のある日、古い友人である徳永氏が「新世界」を引き受けたい意向を持っている会社の代表と共に病院にやって来ます。フリーマーケットという会社の代表である青砥氏です。青砥氏との話し合いでは、「新世界」という名前も現状のスタッフもそのまま引き継ぎたいというありがたい話でした。「新世界」を始めて六年半で「新世界」というブランドは出来つつありましたが、内情的には自分は大変な赤字をしょっています。経営的なことを考えたら業態を変えない限りあの場所を続けることは無理だと正直思っていました。そんな場所をリスクを承知でそのまま引き受けたいと言ってくれているのです。自分は青砥氏に「新世界」を委ねることにしました。もちろん「新世界」を支えてくれた関係者の皆さんとも相談しました。この話が最終的に決定したのは三月二十三日、実に「新世界」ファイナルの一週間前でした。
 あれから一カ月と少し、今「新世界」は再生の準備をしています。自分はその経過と自分の心情をやっと語る気持ちになりました。
いいも悪いもその間いろんな意見を頂きました。自分がやらないのであれば意味が無いと「新世界」立ち上げから苦楽を共にしてきたエンドーソウメイ氏からも苦言をもらいました。しかし一つだけ言えることは、かつての「自由劇場」のあの場所が「新世界」として生き残ることが大切なことなのです。
「新世界」という場所で六年半の間にもらった多くの感動を自分は忘れません。かつて自分が二十代の頃に、あの場所、つまり「自由劇場」でもらった感動を、今あの時の自分のような何者でもない若者がリセットした「新世界」で体感できたらいいなァと純粋に思います。

 青砥氏、「新世界」存続に奔走してくれた徳永氏、ありがとう。
 そろそろ足の骨折も治りかけてきました。自分は陰ながら新しく船出する「音楽実験室 新世界」を応援します。

 クーリーズ・クリーク、インクスティック、
タクシーレーン、遥か彼方です。翠園、サンニッパも無くなりました。あいつが死に、こいつが死に、深夜カスミ町の交差点を歩いても知らぬ人ばかり。
 どうかオレのカスミ町を六本木にしないでくれ。

   新世界 旧オーナー
           河内 一作

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