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 選挙の季節である。マック赤坂という候補者がいろんな自治体で出馬してはインパクトの大きすぎる政権演説を行っている。

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=lUUfaQDm-yI

 2011年の演説の最後で「私も、もうあとがありません、ポスターはってくれる人が居ないので張ってください」という半ば悲しみのこもったお願いを吐露している。それをYOUTUBEで拝見して以来、東京で彼が立候補するおりにはスマイル党の事務所からポスターを取り寄せては高尾の山奥の掲示板に彼の満面の笑みをはっつけている。政治活動というよりは、どこか公然のグラフィティアートや破壊活動のような気がする。

 マック赤坂候補も一応、そのファニーなアジテーションの中で「京都の高瀬川のような*1」政策を滔々披露している。だがその演説は、彼の表明しようとする内容や意図の埒外で、もっと崇高なメッセージを送っているように思える。

「人に頼るな、どんな世の中でも笑って生き残れ。」

所詮、政治家などあなたには何もしちゃくれないなら、自分を整えるしか無いではないか、と。

 さて、マック赤坂候補のYOUTUBEの枠横には、どうせお前らこういうのも好きなんだろう?といわんがばかりにいわゆる珍・泡沫候補(失礼な名称であるが)達の演説を記録した動画リンクが並んでいる。そのなかに東郷健(とうごうたけし)というゲイのおっさん(ゲイの人はおっさんというのか?)の政見放送がある。

http://www.youtube.com/watch?v=HmUmBdGE7qw

 彼の政見放送はビートニク詩人やニューヨリカン・ポエッツカフェでみたスラムの様だ。中島らもは生前、バーの片隅で彼の政見放送に涙したという、こら、らもさん泣くわなあ。熱く激しいのではなく低体温で怪しく「ヤバい」、「来る」ものがある。彼の1997年の政見放送は大久保に咲く夕顔の蔓の話に始まりこういう風に閉じられる。

赦されるならば
ありったけの愛を込めて
ピラミッドの頂点に居る人々を
ジャックナイフでその胸を切り裂き
底辺に居る人々に血の滴る心臓を捧げたい
ありったけの愛を込めて

 言葉の意味はよくわからんがとにかくすごい自信*2ではないか。言葉の羅列に本来の意味を超えた何かがのっかって、こちらにやってくるとき。本来触れることができないけったいなものの像(すがた)が、めくらめっぽうの語りかけの弾幕によって(それは自分を正常と思って疑う事の無い人達には、半ば狂気にも思える)現れるのを見たとき、言葉を放つ個人とは別の大きな得体の知れないものに触れたとき「ヤバいな」という気持ちが去来する。

*1 京都を舞台にした小説を著す森見登美彦がよく用いる物言い。その心は浅いとも市井にありて清らかとも。
*2 キン肉マンの言葉。へのつっぱりはいらんでごわす。

2012月12月07日