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 『東京ソイソース』とは、じゃがたら、MUTE BEAT、トマトス、s-ken&Hot Bomboms、の4バンドが中軸となり、米英を含む本来のワールドミュージックを80’sの東京ならではの広い間口の重層グルーヴに落とし込み、本邦初と謂われている、幕間のDJを配した活画期的なクラブイベントだった。

 要は、現在行われている、フェスを含む、タイバン・ダンスミュージック・イベントの雛形を作ったイベントだったのだ。

 突出しているのは、外タレ黄金時に、ダンスミュージックを日本人が人力で行っていたことだろう。

 なにせ、当時、ドラマーを志す日本人は白い目で見られていた恐ろしいご時世だったのだ。

 生バンドでダンスさせることを、日本人だけの手で成立させることは困難だと鉄板で思われていたのだ。

 故に、筆者を含む洋楽キチガイ達は、渋谷『ライブイン』のザップ、Pファンク、ネヴェル・ブラザース、SOSバンド等のミッドナイトライブに足繁く通った。

 昨今、よく耳にするのは“『新世界』のソイソース”傾倒。

 その通りである。

 筆者は、若年時、DJミュージック(今で言う“ディスク・トップ・ミュージック”??)の先鋭メジャーフォース近郊に生息しながらも、至近距離でお付き合いさせて頂いたのは、ソイソース(あとは、ボ・ガンボス)だったのだ。

 何故故か?ソイソースの方達とはいろんなお付き合いが成立するのだ。
アート、演芸、食、農、映画、詩、被服、踊り、そしてサッカー。

 今、こだま和文さんのロングインタビューの真っ最中なのだが、氏が音楽を一旦捨てて絵画にのめり込んだ逸話は、恐縮ながら、正に自分を投影するようで怖かった。

 キーワードは『ロックマガジン』。

 さて、終わらない『東京ソイソース』の経絡を、今後、どれだけそのインタビューで拾えるのだろうか?

 音楽という名を借りた、白日の旅は更に続く。


新世界3月店頭展示ポスターⓒエンドウソウメイ

2013月03月25日