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 80年代初頭、東京ダウンビートの根幹を成すドープなループを構築したミュージションズミュージシャン松永孝義。
 昨年の食道がんによる闘病を経て、3年ぶり2度目の西麻布「新世界」でのワンマンライブを真近にする心境から、あのヘビーループ萌芽に至る若き日の逸話まで遥か成るタイムラインを語る。

インタビュー&テキスト エンドウソウメイ

 ベーシストは寡黙だ。
 故に、おしゃべりな筆者は、19歳の冬、ベースを手放した。
 少年時代、思うがままに操れなかったその楽器を極めた人物が目の前にいる。
 松永孝義。
 練者は時に思考と語りの間で立ち止まりながら過剰にゆっくりと話す。
 くぐもったその声紋は、大いなる憂いと底知れぬ深みを生む。
 これぞベーシストの声。(-2倍速再生でどうぞ)

 ミュージシャンズミュージシャンの称号が、今、日本で一番しっくりくる人物である。
 緊急決定した、松永孝義&The Main Man Special Bandの西麻布『新世界』でのライブアクトも驚きだが、昨年、音楽業界に流れた松永孝義重病説に関してまずは訊かなければ。

エンドウ(以下E):ご病気だったとか?
松永(以下M):そうなんですよ。
 去年、2月間くらい入院していたんです。3月の中旬に入院して、5月中旬には退院していたんだけど。入院しててもやることないし、それで、退院して家でビクビクしてて、退院後の検査の結果が出たのが6月。主治医曰く「これはもう大丈夫みたいですね」ってことで、7月にはレコーディングをやっていました。
E:大病後、音楽に対する意識の変化とかありましたでしょうか?
M:ハハハハ(爆笑)
 それが、これといってないんですよ(笑)
 っかね、凄げ〜痛いおもいしたとか「おめ〜は助かる見込みがね〜」と告知されるとか、普通のがん患者が体験するようなことが全然なかったんです。
 多少そんな感じだったのは、町医者に最初看てもらったんだけど、簡易のレントゲン撮った後、病状の説明を受けて、絵に描いたような絶望的な顔でしゃべられてね(笑)がんとはこの段階では言わないんだけど、明らかにがんの表情なんだ(笑)“手遅れ!”みたいな。
 その時は流石に“生きとし生けるもの全て美しい”って心境になりました(笑)
 その後、消化器系の名医を紹介してくれて速攻入院して、即日くまなく検査した結果、かなり進行した食道がんでした。
 医者が言うには「放射線を患部に当てると治る場合も多い」ってことだったんで、ションボリしていてもしょうがないからその治療法を選んだんです。
 で、その放射線ってのが人によって効き具合ってのがかなり違うらしいんだけど、オレの場合、メチャメチャ効いて(笑)みるみるがん細胞がなくなったんです。

 奇跡のフレーズを生む男は、奇跡の自己治癒力をも生み出せるということか?
 さて、いよいよ本題に入ろう。
 3月25日に迫った、3年ぶりワンマンでは2回目となる超レアライブに関し、その主人公は今、何を想う?

E: The Main Man Special Bandは何時以来でしたっけ?
M:最後にやったのがクアトロの2007年だったと思うんだよね。
E:松永さんにとって、いつもと違うフロントマンとしての立ち位置のThe Main Man Special Bandはやはり特別なものなのでしょうか?
M:変わらないよね(笑)
 当たり前なことなんだけど、変わらないけど最終の責任は自分だなってことが違いますよね。
 サポートとかだと、そういう立場に立たないじゃないですか。サイドメンとしてもそれなりの責任は負うんだけど、自分がひとつのショーなりCDを請け負うって意識は違いますね。
 でも、やってる中身は別に一緒ですね(笑)

 気負うことなく淡々と語る所作に、完全なスキルを擁す今回のメンバー間の信頼関係がそこはかとなく漂う。
 さて、皆さんも非常に気になる所と思うが、松永孝義の音楽キャリアは意外にもクラッシック音楽の占める比重が高い。
 アカデミックな音楽教育から逸脱し、ダブ・レゲエバンド『ミュートビート』に身を投じた経緯とはどういうものだったのか?
 それは、すなわち東京ダウンビートの萌芽に他ならない。

E:元々、国立音楽大学時代、クラッシックを専攻されていたと聞いたのですが、何故ゆえダブ・レゲエバンド『ミュートビート』に加入されたのですか?
M:なんで国立音大に行ったかって言えば、どうしても弟子に成りたかったコントラバスの師匠が、国立音大に行かなければ弟子に取ってくれなかったからなんです。
 その先生がおっかないんだけど良い先生で、若輩ながら、この人の言うことを聞いて勉強してればなんとかなるんじゃないか?と思ったんですね。
E:では子供の頃からはクラッシック音楽がお好きだった?
M:親父が少しレコードを収集していた程度だったけど、他のガキよりは馴染みはあったかな?
 それより、オレ、2人兄貴がいて、彼らの買ってくるビートルズのレコードをリアルタイムで聴けたことの方が今に至る影響としては大きいと思う。
E:では、音楽の原体験としてはロックということに成るのでしょうか?
M:そうですね。
E:音大時代もクラッシックとロックを平行して聴いていたのですか?
M:いや、先生が超スパルタな先生でしたから、クラッシックのベースを一生懸命弾くだけで、他のことをやる余裕はなかったですね。
E:では、ベルリンフィルやら、国内ではN響を頂点とした世界を目指していた訳ですね。
M:オレの師匠っていうのがN響で弾いてた人だったし。
E:それが何故『ミュートビート』に加入したのでしょうか?
M:元々、ロックが好きだったし、高校生の一時期モダンジャズも好きだったから。その辺からウッドベースを弾きたい願望が既にあったし。エレキベースは既に弾いていたしね。
E:エレキベースはどの辺りを?
M:オレの頃は最初はフリー。ベースはアンディー・フレイザー。あと、ホットツナ。
 もっと前はグランド・ファンク(・レイルロード)とか(爆笑)
 っかね、当時、ロック好きで普通に耳に入ってくるのはその辺だと思うんだけど。
 (松竹谷)清なんかは「ブルースを聴いてた」なんて言ってるけど、そんなのは“頭のおかしい奴”のやることで(爆笑)オレに言わせれば(笑)
 ラジオや友達の持ってるレコードって、その時代ならクリームとかジミ・ヘン(ドリックス)とかでしょ。
E:国立という地域性も『ミュートビート』加入の切っ掛けになったのでしょうか?こだま(和文)さんは国立に長く住まわれているとか?
M:それはね、ピアニカ前田がキーマンなんですよ。
 オレの高校は国立にあったんですけど、その頃ピアニカ前田さんが『ぶどう園』って言って、RCサクセションの誰かが住んでいたとかで、ちょっと知られるアパートに住んでいたんです。
 貧乏長屋、風呂なし、共同トイレ。プレハブ(笑)
 そこ多分、音大生向きのアパートで、ピアノを弾いても良いし、ひで〜奴はドラムセット持ち込んだりね(爆笑)
 で、授業を抜け出して“前田んち”で一服したり、インスタントコーヒー飲んだり(笑)
 同時期に、こだまさんも『ぶどう園』に住んでいたんですよ。
 丁度、ブラックミュージックやレゲエのレコードを買っていた時期だったんだけど、前田さんにこだまさんを紹介してもらって、前任のベースが入ってる『ミュートビート』をクロコ(ダイル)に見に行ったんです。
 第一印象は「こういうのやってる人がいるんだ!?」(笑)ドラムが(屋敷)豪太。キーボードに(坂本)ミツワって奴とか。
 音は良かった。うん、凄く良かった。
E:で、ベース不在となって声をかけられたのですか?
M:そうですね。
 “やりたい!光線”はすげ〜出していたと思う(爆笑)
E:同時代の名バンド、松竹谷清さんのトマトスにも平行して在籍していましたが、こちらはどんな経緯で?
M:それはむこうから誘ってくれたんだと思うよ。
 トマトスは「やらせてくれ」と言った覚えはない(爆笑)

 練者は旧友(松竹谷)のネタは思いのほか大きな声で笑う。
 レジェンド松竹谷の上京時、常に帯同する理由の一端が筆者にも少し分かったような気がした。
 脱線気味の文脈に業を煮やした今回のブッキング担当N氏が、計ったように直球な素晴らしい核心的クエッションを入れる。

ブッキング担当N氏:松永さんのベースプレイの幅の広さは、一体どこから来ているのでしょうか?
 M:だから……あれっすよ…。
 間違いなく言えるのは、どの音楽も凄く好きだってことですね。
 例えばハワイアンも好きなんですよ、そんなに詳しい訳じゃないけど。タンゴも20年位やってるから、やっぱ好きなんでしょうね。
 ハワイアン、タンゴ、レゲエそれぞれしかやらない人も「松永はその音楽が本当に好きなんだな」と分かってくれるから使ってくれると思うんですよ。
 好きこそものの上手なれって(笑)

 これ以上ない素晴らしい回答。
 練者は音楽を本当に愛している。
 では、最後にお決まりのあれをお願いします。

E:久々のThe Main Man Special Bandに期待しているファンの皆様へメッセージをお願いします。
M:なんて言えばいいんだ?……そういうの苦しいな…(笑)
 兎に角、忙しい人達ばかりなんで、そんなに作り込んだようなことは出来ないんで。おけいこも一杯出来ない事情もあって、今までやった内容と、略、変わんないってのが確実で。
 でね、よく考えてみたら、ボク等のワンマンってアストロホールの1回しかないんだよね。ワンマンの分、今回はなんか膨らませなくっちゃいけないんだけど。
 その膨らます部分もメンバーに負担がかからないように(苦笑)ちょっと新しいことをやってみようかな?ってところぐらいしかまだ考えてないってのが正直なところかな?

 さていよいよ迫る『新世界』一押しライブ。
 “ちょっと新しいこと”が“凄く新しいこと”に成ること請け合い。
 何故なら彼は凄く音楽を愛しているから。


ⓒHiroshi“Kan” Suzuki
下北沢「ラカーニャ」にて

2012年4月24日