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祝再生

オレは人を喰らって生きている極悪非道のギャングだから、駒沢敏器が死んだからといってナンボのことでもない。「そうか、駒沢敏器が生まれ変わったら、またうまいワインでもおごってやろう」と思った。

死は生へのはじまりだと考えれば、人が死ぬことは格別悲しいできごとではない。むしろ再生のために祝うべきなのだ。

去年の春に駒沢敏器と京都で飲んだ。そのときのハナシをある雑誌に書いた。その箇所だけ抜粋しよう。

京都に来ると先斗町のバー・アルファベット・アベニューへ必ず立ち寄る。通称タコちゃんという主人と奥さん二人でやられている。店名が舌を噛みそうなので俺はいつも「タコちゃんのバー」と呼んでいる。俺はこの酒場の温度が好きだ。タコちゃんと奥さんの呼吸が好きだ。淡々としていてひとつ芯が通っている。酒のメインはラム酒だけど、これでもかというほどの品ぞろいではなく、そこそこである。タコちゃんと奥さんの呼吸もそこそこである。そしてそのそこそこが俺をリラックスさせてくれる。

タコちゃんは昔「ノーコメンツ」というバンドのギタリストだった。ワールド・ミュージック華やかりし頃、うるさい音楽好きが愛していた「ノーコメンツ」はひと時代を築いていった。どおりで選曲がいいはずだ。しかしタコちゃんは過去の自分のことなどいっさい話さない。奥さんもけっして出過ぎない。そんな二人が大好きで俺は東京から「タコちゃんのバー」へ通っている。

震災の後、四月二十日、俺は「タコちゃんのバー」でゴトウゆうぞうと会った。ゆうぞうは前々回のこのコラムに登場している、日本唯一のブルース司会者であり歌手でありエンターティナーである。ふう、ちょっと肩書き長いなァ。あの初代ネーネーズのバンドのメンバーとして多くのツアーに参加、一九九九年、十一月四日、渋公ネーネーズ解散コンサート、「黄金の花」が流れつづけるなかメンバー紹介、「パーカッション、ゴトウゆうぞう!」あのとき会場にいた俺はネーネーズと時代を共有してきたゆうぞうのあの晴れやかで誇らしげな顔を今でも忘れない。

今回、京都に俺と同行したのは作家の駒沢敏器。駒沢敏器は「アメリカのパイを買って帰ろう」など沖縄に関わる著述が多い。実直で労を惜しまない取材には定評があり、鋭い視点から「アメリカの沖縄」をつむぎ出している。

駒沢敏器とゆうぞうのトーク・ライブを音楽実験室「新世界」でやろう。硬派な駒沢とにぎやかしのゆうぞう、このミスマッチがなにかケミストリィを生み出すかもしれないな。

ああそうか、もう二十四年経つのか、駒沢敏器と某誌の取材、ワイハで全盛期のピータームーンに会いに行った日のことなど思い出したり、駒ちゃんあのとき若くて俊敏とした文学青年だったが今はすっかり作家の顔になっている。「タコちゃんのバー」のカウンターでモヒート片手に語り合っている二人を眺めながらそんなことを思った。

「あの窓際の席に座って、夜明けの鴨川をぼんやり眺めている時間がええんです」
とゆうぞうが言った。

「夜明けまで飲みあかしますか」
と駒ちゃんが言った。

「タコちゃんのバー」のあとで「黄金の花」を四条大橋の上で歌って別れた。

ハワイ、京都、東京、駒沢敏器と飲んだのは数えるほどしかないが、どれもごきげんな時間だった。

そろそろ駒沢敏器に新世界でのトークライブを頼もうと思っていた矢先の死だったが人間は死んだってどうせ生き返るのだから、駒沢敏器が生まれ変わって、作家としてのおとしまえをどうつけていくのかオレは楽しみにしている。

祝再生。

新世界オーナー   河内 一作

 

2012年05月14日